「老い」について哲学する。

自分にとっての老いについて終わりなき(正解のない)対話を楽しむ場づくりの2回目。

今日のテーマは「昔想像していた老いと、いま、年齢を重ねるなかで考える老い」について哲学しました。
老いは誰が決めるのか。
何から老いを感じるのか。
いつ、どんな偶然で老いを考えるのか。

市内のある小さな自治会のふれあいサロンをオンライン拠点に、大阪大学の先生方(哲学者+地域包括ケア老年看護研究者)や認知症関連のプロジェクトに携わる方など、多様な立場の方々をリモートでつなぎながら、その小さな対話の場づくりが歩みはじまっています。

「いくつになっても、憧れ、目指したいひとがいることが幸せ」「そもそも、歳をとったという実感がない」「歳をとるからこそ、自分より若い友達を作った方がいい」「田畑、あっちもこっちも痛いけどやらなきゃいけないからやってる」いろんな意見が。

子供世代からは「母からの家庭内役割を受け継がないとと思いながらいつまでも甘えていたい」「いまの年配者っていくつになってもしごとバリバリやるから、職場の役割継承も、やらずに甘えてる部分がある」「長年、別々に暮らしてきて、老いてから一緒に暮らすと、どんな感じなのか」などの意見。

備忘録がてらに記録。
今日はみなさんと楽しみたくて、実行委員が豚汁作って振る舞いました(笑)

自治会長さんやサロンメンバーさん方々を中心に、答えのない問いを楽しんでくださっていることが嬉しいです^_^